アンサーソングは届かない

マンチェスターシティとRe:ステージ!を愛するブログ 考察とかを書いてます

ライブは幸せすぎて不安になる

コロナであらゆるイベントが延期や中止になっている。悲しい反面、なんであんなにライブが楽しかったのかな、とも思う。ライブBDを見ればその時の興奮を思い出せるし、曲を聴けばコールだって口からこぼれるわけで。けど、やっぱり全然物足りない。そこにはやっぱり「ライブだから」という理由のような、命題のようなものがあるように思えてならない。

でもライブの良さって何だったのか。時間を共有できるから、なのか。推しが目の前にいるから、なのか。これは絶対正解です。異論の余地はないです。

でもそれだけじゃないなとも思ってて。やっぱり私がライブの魅力だなって思うのは「時間の経ち方」なんですよね。ライブって本当にそのままライブで、不可逆な時間の中で、目の前の圧倒的な勢いを感じること以外許されない。目も耳も声帯も血の一滴だって、今このときのためにある。今の瞬間歌われた歌詞がもう過去になる。刹那的な幸福にものすごい勢いでぶつかり、じっくり味わう余裕もなく新しい波にのまれる。過去と現在が限りなく近くて、それでいて未来は全くわからない。普段生きててこんなに時間を生々しく感じることはない。時間が限りなく実体に近くて、五感で捉えることができるような気さえしてくる。この特別な時間の流れ、感じ方こそがライブの魅力なんじゃないかって思うのだ。

 

でも時々、ライブの最中に「早く終わらないかな」と思うときがある。ライブ自体は大好きだし、最高に楽しいし、むしろライブの時間が永遠に続いてほしいと思う。けど、どこか「早く終わってほしい」。変なのかな、そうかもしれない。楽しい時間が終わってほしいなんて思うわけがない。けれど確かに存在する感覚なのだ。そして私は思う、恐らくこれは不安だからなんだと。あまりにライブが楽しいから不安なのだ。ライブが楽しければ楽しいほど、その不安は大きくなる。私は思う、きっとこれはあまりに幸せすぎるからだ。受け取る幸せの量が多すぎて不安になるのだ。今が圧倒的なスピードで迫ってきて、流れていく。そのどうしようもなさ、無力感。ライブでは日常とは比べ物にならないほどの幸福を短時間で大量に摂取する。こんな幸せは続かないことはわかっていて、楽しければ楽しいほどその想いも強くなって、「え、いいんですか、こんな」と感じる。困るのだ、あまりに幸せすぎるから。あまりに浮世離れして、違和感をどこかで覚えるのだ。だから「終わること」でなんとか「いつもの自分」になる。自分が自分でいようとする、そのための早く終わってほしいという感情なのかもしれない。

 

今後ライブは配信になることもあるだろし、VRで現場に限りなく近い世界を体験できるかもしれない。しかしそれがアーカイブとして保存され、いつでも見れるようになったらライブの価値は大きく損なわれると私は思う。ライブは生であり、生は時間とは切り離せない感覚だ。今しかないから一生懸命になれる。この瞬間に存在する幸福を必死に感じ取ろうとする、その刹那的な儚さこそがライブの美しさなのだと思う。「後で見れるから」、これでは感覚が鈍る。今しかないとわかっているから少しも逃すまいと思うのだ。

オンラインとアーカイブ化でいつでもどこでも見れるようになったからこそ、剥き出しな時間を感じる、私はそんなものを求めてライブに足を運んでいたのかもしれない。

「なにが好きか」より「なぜ好きか」

好きなものがある。好きな人がいる。誰もが「好き」を持っていて、それが集まってあなたや私を作り上げる。「好き」はいい。「好き」は幸せの原点だ。

 

「好き」には2種類あると私は思っています。「なにが」で語る好きと「なぜか」で語る好き。この2つを私たちは持っていて、普段は全部まとめて「好き」と表している。

 

もちろん、人の好きなものについて何か言うのはナンセンスだと思う。けど「なにが」で語る「好き」はどうしても軽いくて浅い。「なぜか」で語れる好きは深みがある。私は「なぜ好きか」をたくさん持ちたいと思っている。

「なぜ好きか」が持っている深みは年月の積み重ねそのものである、ともいえる。「好き」という感性は絶対的に主観的で、自分を中心にした概念だ。「いいよね、これ」と言えるのは、裏に存在している無数の過去のワタシがいるからこそ。

 

そんなことを考えたのは、結局「好き」という話を共有したいからだ、共感してほしいからだ。

私たちは好きをテーマにしゃべるのが楽しい。同じバンドを好きならばそれだけでうれしいしなんとなく共感できて、相手のことを素敵に感じる。好きは人を繋ぎ、世界を広げる。でも、「好きなんだ」「わたしも」という会話と「ここが好きなんだ」「わかる!こういうところもいいよね!」では共感の深さが違う。共感の深さはそのまま関係の深さになって、深ければ深いほどいいなと私たちは感じているのだと私は思う。

「なにが好きか」より「なぜ好きか」を共有したい、私たちは本質的にそうできているのだと思う。「なぜ好きか」は過去のワタシに繋がっていて、ある意味私の価値観をさらけ出す行為だ。だから「なぜ好きか」を共有できることは「好きなものを超えてあなたのことが好き」に限りなく近づくことなんじゃないかと思う。好きと言われたいのは自分の好きなものではなく、私自身のことなのかもしれない。

 

じゃあ「好き」は私のためにあるのかといわれると、それがそうでもないんじゃないかなとも思う。

 

「なにが好きか」と「なぜ好きか」では好きなものとの主従関係が違うと私は思う。「なにが好き」かは私を説明するために道具のような気がしてならない、それを好きな私が好きというための、自分を飾るためのアクセサリーのように思える。私が主で好きなものが従。自分が何者か、社会の中で、相手の中で何者なのかを証明するために手段のような、そんな「好き」に思えてしまう。好きであることは間違っていないけど、私のための好きなのかな、と思ってしまう。友達が結婚の話をしたとき、人からの見られ方が変わるとか、人生が間違っていないことの証明になるとかそういう話をしていて、すごく怖かったのだ。結婚が社会的な行為であることも打算的にするという側面があることも、分かっている。けれど、結婚しているというアクセサリーを身に着けるために相手が存在していることに気持ち悪さを感じずにはいられなかった。これって考えすぎ?気持ち悪いのは私?とか思ってることが気持ち悪い?

 

「なぜ好きか」は好きなものが中心にあって、私はそのフォロワーだという意識があると思う。好きなものが絶対的で、そこに近い私の価値観がある、そんな関係性だともいえるんじゃないか。絶対的なモノやヒトがあって、その後ろに私がいて、過去のワタシと今の価値観が支えている、そんな主従関係がある。

でもこの関係は強そうに見えて壊れるときは一瞬なのだ。好きなものが好きな理由と違う要素を持ってしまったり、好きな理由がそのものからなくなってしまったりしたとき、愛は一気に消え失せる。自分の価値観は簡単には変わらないし、相手によって使い分けられるほど柔らかいものではないんだ。そうなったときに私たちは「もうアレはだめだ」「裏切られた」と言う。急に主従が逆転し、一方的に切り捨てるように言う。みんな自分の価値観が間違っているなんて考えたくないから、相手を否定することで自分を正当化する、アンチには元々ファンだったひとが多いのはたぶんそういうこと。みんなホントは自分がかわいい。

だから本当はちょっとだけ「なにが好き」で語る人に憧れてたりする。いつか「裏切られた」と自分が言うかもしれないことに自覚的だということが怖い。本当はそんなことを気にしないで好きだといえるのが健全なのかもしれないと思ってしまう。

 

それでも私は「なぜ好きか」をやっぱり大切にしたくて、好きなものを盲信していたい。それが好きなモノ・ヒトへの敬意の表し方だと思っていて、それ以外の方法を知らないから。好きでいることを許してほしい。「愛してるって言わせろハニー」って鈴木けいすけも歌っているもんね。

 

そしてこういう話をすると必ず「好き」を言い表すには言葉は少なすぎて、限界があると感じるのだ。誰かいい言葉を知っていたら教えてください。時価で買います。

 

私たちはずっと「好き」を求めて心地よく溺れていくのだ。

オタクの服がダサいのはお金が無いからでもセンスが無いからでもない

こんにちは。くろーぷです。

 

みなさんは服が好きですか?いいですよね、服。着るだけでテンション上がります。明日何着よう?とか考えてる時間ってすごく楽しい。最近はリモートワークで、同期はみんなスウェットなのに一人だけシャツ着てジャケット羽織ってます。

 

さて、今日は服の話を書いていきます。

先に謝っておくんですけど、「ダサい」って書いてごめんなさい…他の言葉が思い浮かばなくて…ダサいって絶妙すぎません?すごいとかかわいいとか、曖昧でもっとバシッとした言葉はないのか!ってなる言葉ばっかりの中で、ダサいってかなりあのモヤモヤ感を捉えてる…芋っぽいとか味噌汁くさいとかも全部含んでて…すごくね…

というわけで便宜上ダサいって書かせてもらいます。ごめん。

(あとこの記事は基本的に自戒の意味が込められています…だから非難しようとかではないので…すみません…)

 

 

1.なんでダサい服になってしまうのか

 

さて、オタクの服がダサいって話なんですが、別にいいんですよ、服にこだわんねーよって人はそれでもぜんぜん。あと「俺は他のオタクとは違うから(笑)他のオタクはホントセンスねーよ(笑)」という人も、それはそれでいいです。当然僕自身人に服のことを教えられるほどのセンスじゃないし、だっせえな今日、って日もめちゃくちゃよくあります。そんなもんです。まぁそういう人も「ほーん」って思いながら推しのこととか考えながら読んでみてください。

 

で、なんでオタクの服がダサいのかっていうとですね、別に金が無いとかセンスがないとか、そういう話じゃないんですよ。

いま「は?俺は完全にそれなんだけど、お前なんもわかってねーな」って思った人、ちょっと待って。あ、いや、待ってください。

あのですね、一応なんでかってのは思いついてるんですけど、はっきり書きすぎると怒られそうで…。怒らない?結構耳が痛い話になる気がして…。書いてる本人も反省しなきゃって思ってるから…。まぁ怒ってもいいんですけど、燃やしたりしないでね…。

 

で、その理由なんですが…あの、気を悪くしたらごめんなさいね?いいですね…?書きますよ…?

 

 

 

 

それは…

「オタクは自己満足で生きてるから」です。

(あーあ、書いちゃったよ…)

 

 

 

 

オタク、自分の好きなことができてればよくね?ってなってない?(ごめんなさい)それが服に出てるってことです(ごめんなさいごめんなさい)。

まぁオタク趣味自体他の人のことを気にする機会少ないですし、良い悪いではなくそんなもんだと思います…。

 

…さて、今一度気を取り直して、ちょっと考えてみてほしいのが、どういう基準で服を選んでますか?ということです。

気温だわ、バカ?ごめんなさい。んなもんいちいち考えねーわ、アホ?すみません…。いや、ほんとその通りだとは思ってます…。

でも謝ってばっかだと進まないんで、鬼のような形相のままでいいんで聞いてください。本来服って寒さ、暑さをしのぐもの、その通りです。機能性と価格だろ、大事なの、おっしゃる通りです。でも、そうじゃなくて、どうやって服選ぶか、なんですけど、ほかにももっと基準があるんです。

例えば、友達をキャンプに誘ったのにそいつがスーツで来たらどう思います?あほかよってなりますよね。実際それはあほです。でもこれって、キャンプにふさわしい恰好がわかってるからですよね。あとは逆に結婚式にTシャツで来る人、これもまぁダメだと思います。

つまりですね、服って状況に合わせてある程度何着るべきかって決まってるんですよ。だから高校生の頃とか多少の着こなしの違いはあれど、制服着とけばダサくないんですよね。学校と制服が結びついてるから。

でも問題は私服。私服着るときってそういうの決まってないじゃないですか。大学で着なきゃいけない服、ふさわしい服って何なんですかね?デートは?イベントは?飲み会は?なーんも決まりなんてないし、求められてもないです。で、なんとなくダサい。

そうなんですよ。私服って基本的にシチュエーションという基準がないんですよ。でも何着てもいいわけじゃない…でも「シチュエーション」という基準がないだけで、他に基準があるんですよね。

 

それは相手がどう思うか、です。

その服を着て会う相手が自分の恰好を見てどう思うか、それが基準になります。相手の年齢、性別、趣味、相手が普段来ている服…いろんなことが含まれて「相手がダサいと思わない服」が生まれます。もし服に自信が無いとか、何着たらいいんだよって人はこの基準に沿って選んでみてください。あとダサくない服の人がどんな人と会うときにどんな服を着てるのかを観察してみると分かりやすいですよ。

オタクにありがちなパーカーにジーパンに運動靴とショルダーバッグ、みたいなのを相手がどう思うかなって、相手の立場で考えてみるってことです。職場の同期、ゼミの後輩、他のオタク、電車の前に座ってる女性、コンビニ店員のおっさんなどなど、相手の視点にたってみるといいかんじです。

(とか偉そうに言ってますけど、僕もそれに気づくのにめちゃくちゃ時間かかりましたね…)

 

ただ単にアイテムそのものがかっこいいとか、自分の雰囲気に合ってるとかそういう基準で服を選んでた時期も長くて…という自省からのアイデアでもあります。当時は自分が良ければいいって基準で選んでて、完全に自己満でした…僕にみたいになっちゃだめですよ…

あとその線で行くと「俺の服かっこいいだろ?」ってしてる人はダサいことになります(自戒)。かっこいいかどうかは相手が決めるので、慎重に選んでから相手に託しましょう(自分に言い聞かせています)。

 

相手目線になって服を選ぶ、それを実践してみてくださいね。たぶん違う選び方、服の買い方になるんじゃないかな~と思います!

 

 

2.服の買い方・選び方

 

まあ理論は分かりました。じゃあ具体的にはどうすだよって声が聞こえてきそうなのでそれも書いときます。

まずは今持ってる服ですが、別に捨てなくていいです。いままでのを読んでもらえたらダサいのは服そのものではなくシチュエーションや相手による部分が大きいと分かってもらえたかと思います。使える服もあると思うのでいったんそのままにしときましょう。

ただこれだけは捨てろってものもあります。それはサイズの合ってない服年齢に合ってない服清潔感のない服です。成長期の感覚で大きくなるからと今の自分に合ってないサイズで買った服は捨ててください、着ません。とくにダボダボのズボンはすててください。年齢に合ってない服も同様です。個人的にパーカーは地雷率高くて、ちゃんと選ばないと顔は大人なのに服が子供というよくわからない人間が生まれます。とりあえず派手な色のパーカーは危ないって覚えといてください。最後に清潔感のない服です。あくまで清潔感、です。洗濯してあるかどうかではないです。清潔な感じがするかどうか、です。Tシャツの襟がヨレてるとか、洗いすぎて色が落ちてきてるとか、そういうのは清潔であっても清潔感はないので捨てます。

さて、服を買いに行くとなったらまずは店に行きましょう(当たり前)。店員は怖くないし服屋も地獄ではないです。とはいえ店員とかいう人種は見てるだけの時に話しかけてきますが、あれをやらないと向こうとしても仕事をしてないことになってしまうのでやってくるだけです。建物に入ったら話しかけられるイベントが発生するようなもんなので苦笑いで会釈でもしときましょう。あと服を買いに行く服がないとかって話を聞きますが、周りの人はあなたのことを特に気にかけてないので大丈夫です。

あと服屋は予算に合わせて選んでください。最初はユニクロとかGUで全然大丈夫です。

 

さて、服屋に着いたらあんまり考えず店員を捕まえ服を選んでもらいます。向こうはプロです。任せて失敗したら向こうが悪いくらいのテンションが大切です。その時になんも言わないと店員はあなたに似合いそうな服を持ってきてくれます。で、そういう服って結構に合ってると思うんですよね。さすがプロなんですが。でもその服って「シチュエーションと相手」を考慮してないことが多いです。だから失敗することもあって…。

ではどうするかというと、さっきの応用です。店員に「シチュエーションと相手」を伝えましょう。あと予算も。そうすればいい感じに見繕ってくれます。ちなみになんですが、最初からそう言うことを聞いてきてくれる店員さんはアタリです。推しましょう。

そして試着は必ずしてください。同じMサイズでもブランドによってまちまちです。サイズがあってないと即死です。必ずチェックしてください。あとズボンは必ず裾上げしてもらってください。有料でもです。じゃないとサイズが(省略)

 

理論だけ学んでプロに丸投げするのが一番いいので、慣れるまではそんなかんじでいくとよきです。

 

 

3.余談 量産型といわれる服について

 

最後にちょろっと余談です。服について調べると量産型ファッションというものがあるっていうのがたぶんすぐ出てきます。こんなかんじです。

で、よく出る話で量産型はダサい、みたいなやつです。結論から言うとダサいと思われることはほぼないです。シチュエーションや相手に対しての最大公約数みたいな服なので、相手からみてダサいと思われることはほぼないと思います。

ただこれも相対的な話で、服好きのあの子には(ダッサ…)と思われてる可能性も否定できません。ただそういう人は少数派と割り切ると楽です。というか服好きなのに相手の服にケチ付ける奴の方がダサい(そうだ、そうだぞ俺…)。

それでもかっこいい服を着たい!って人は量産型から抜け出す必要がありますので、自分の感覚を信じて冒険してみてくださいね。

 

今回はこんなかんじです。服はすっごく面白い趣味なので、もし興味持ったら買ってみてくださいね。きっと今までと違う経験ができるんじゃないかなと思います。

あともし「服買ってみたいけど全然わからん」っていうジャガーみたいな人いたら、僕で良ければ一緒に行きましょう。店員に話しかけるのとか全然やりますし、服も選びもお手伝いしますよ!

 

少しでも服を着てる時間が楽しいものになればいいな、というところで今回の記事は以上です。ま、あんま考えずやっていけたらいいんじゃないでしょうか。

曖昧に「推す」を使うのはやめよう

こんにちは。くろーぷです。

「推す」って言葉、使いますよね。でも「推す」って何をすることなんでしょうか。色々考えたんですけど、これ結構フクザツ。そこでこの記事では僕の考える「推す」ということについて書いてみます。あくまでも個人的な解釈なので、正しいとか間違っているとか、そういう話ではなく「そういうものあるのか~」くらいに読んでもらえると嬉しいです。

 

とりあえず結論から言うと「敬意を持って応援すること」だと思います。

ただ、じゃあなんで敬意を持つのか、応援するのか、ここが大切だと思い、以下はその根拠なんかについて考察してみます。

それではいきましょう。

 

1.「推す」ってなんだろう

まずは国語の時間です。文法です。

「推す」とは品詞で言うと動詞です。そして動詞の中でも動作動詞です。「推す」という行為だ、ということです。

 

ちなみにですが、「推し」は名詞なのでちょっと意味が違うと思ってます。それについては後半に解説します。

一般に「推す」とは「おすすめする」みたいな意味で使われることが多いです。語源的にも推薦するというところからきてるので当たり前ですね。けれど「誰々(声優、キャラクター、アイドル)推してるんだ」みたいな文脈の時は当然おすすめするという意味では使ってません。ですから今回はおすすめするという意味以外での「推す」という動詞について考えていきます。

結論から言うと上にも書きましたように「敬意を持って応援すること」だと考えています。ポイントは「敬意」です。

みなさん、自分の推している人を思い出してみてください。なぜその人を推しているんですか?どこが好きですか?どんな時に素敵だな、と感じますか?きっとそれぞれポイントがあるはずです。ここからが大切なので上の質問にしっかり答えを持って続きを読んでください。

いいですね?大丈夫ですね?ちゃんと答え出てますよね?信じますよ?

 

では答えの出ている皆さん、次の質問です。なぜその答えになったんですか?なぜその人のそういうところが好きなんですか?なんでその瞬間に素敵だと思ったんですか?これも考えてみてください。しっかり、ですよ。声が好きならなんでその声質が好きなんですか?ダンスに魅力を感じるならなぜダンスがうまいことがいいな、と感じるんでしょう?顔が好きならなんでその顔が好きなんですか?なんで、なんでですか?これもしっかり考えてください。

ちゃんと考えましたか?答えとして自分が納得できていますか?いいですね?そしたら次に進みましょう。(めんどくさい記事ですみません…。)

 

 

お疲れ様でした。推しについて考える時間っていいものですよね。こういう素直な気持ちって大切にしたいものです。

さて、皆さんが考えてくださった答えですが、人それぞれ違っていると思います。それは当然のことなのですが、それでもきっと以下要素と何かしら絡んでると思います。

その要素とは

・自分にはないものを持っている

・自分のコンプレックスとは真逆、推しのいいところは自分のコンプレックスに感じるところだ(自分は緊張しいだから、推しの物怖じしないところが好き、みたいな)

・価値観に共感できる

どうでしょう。もちろんぴったりというわけではないでしょうが、当たらずも遠からずかなと思います。

では、これだとどうなのかということですが、これが「敬意」を推しに対して持つ根本的な理由なのだと思います。「憧れ」と表現してもいいかもしれません。自分ができないこと、苦手なことを推しは難なくやっている、または克服しようと一生懸命努力しているとか、コンテンツや仕事への向き合い方が素敵だとか共感できるとか、こういうのって尊敬につながると思うんですよね。だから推しのことは尊敬するし、敬意を払う対象になる。

これは「好き」とはちょっと違います。「尊敬している人は誰ですか?」と聞かれて答える人が、必ずしも好きな人ではないですよね。それと同じです。そういう姿を見ていて、それが素敵だなと感じ、その先にある光景を見たいと思い応援すること、これこそが「推す」ということなのではないかなと思います。

そういう関係性に基づく応援行為こそが「推す」である、そう感じます。だから「推す」っていろいろな方法があると思うんですよね。イベントに誰よりも行く、フラスタを立てる、お手紙を書く、メールを送る、グッズを買う…気持ちさえあれば、これらは立ちどころにすべて「推す」ことになると思います。

 

2.「推す」と「推し」は何が違うのだろう

ここからは「推す」と「推し」の違いについてです。先ほど「推す」とは動詞だと書きました。同じように品詞の観点から考えると「推し」は名詞です。「○○推しです」とか「自分の推しが~」みたいな使い方しますよね。このときの「推し」はさっきの「推す」ことの対象ではない、と考えています。

「推し」には先ほどの敬意や憧れという意味は含まれているもの、もっと軽い意味もあると思います。単純に気に入ってるとか、好きとか、そういう感情を持っている人やものを「推し」と表現できます。ここが「推し」と「推す」の一番大きな違いかなと思います。

好きという感情には必ずしも敬意や憧れといった論理的な感情は含まれず、もっと本能的です。だから「推す」にはなかった恋愛感情や「俺が頑張ってもっと売れさせてやる」みたいな相手と同じ目線、またはそれより高いところからの視点も「推し」に対しては持っていいてもおかしくはないのかもしれないなと思います。そりゃそうですよね、もともと推薦する、推進するみたいな主体的な言葉なんですから。

よく言われるガチ恋とかも推しへの感情の一つなんじゃないですかね。だから個人的には恋愛感情や認知されたいみたいな承認欲求「推す」という行為の根源的な感情ではないものの、「推し」への感情としては成立すると思います。そして「推す」ことと「推し」がいることは同時に成立します。人間全員が全員誠実さなんかに裏付けされて行動できないと思いますし、よこしまな気持ちがあっても別におかしくはないと思います。でも逆に言えばそういう不誠実な気持ちで「推し」を作っても、そのあとから「推す」ようになっても全然おかしくないと思います。それだけ相手の素敵な部分を見つけられたってことですから。…というかどんな人も最初推しができて、そこから推し始めますよね。深く知っていくことで「推し」から「推す」対象へと変化する、という感じがします。

この根本にある感情の違いが「推し」と「推す」の一番の違いではないかなと思います。

 

 

以上が僕の考える「推す」とはどういうことか、そして「推し」との違いは何か、です。要するにベクトルが推しに向いているか自分に向いているか、みたいな話です。少しでもご参考になれば幸いです。それと「俺は違うと思う」とか「こういう解釈もあるんじゃない?」みたいなものがあればぜひお聞かせくださいね。

 

あなたは今、推しを推していますか?

大学を卒業しました

大学を卒業した。

 

 

大学生という時間が終わった。よく大学は人生の夏休み、なんて言われる。

 

確かに、そうかもしれない。一生懸命勉強したこともあったけど、自分の場合は受験勉強の方がやっていた。

 

大学生は勉強をしない、は間違っている。勉強以外のことにたくさんの時間を使っている、が正しいのだと、卒業した今は思う。旅に出てみたり、お酒を飲んでみたり、何時間も話をしてみたり、そんなことをしていて、大学生は誰しもそっちの方が大切に感じるから「大学生は勉強をしていない」。

 

大学生は時間を膨大に持っている、ともいえる。年単位で好きなことしていいんだからそりゃそうなんだけど。社会人の皆さんは「学生時代はとにかく時間があった」とおっしゃる。「学生のうちしか徹夜したり海外旅行行ったりできないよ」とおっしゃる。貴重なご意見、ありがとうございます。

 

そして誰しも学生時代にやり残したことがある、という。まぁ、そうですよね、と思う。未来のことなんてわからないから、社会人になってからのことなんてわからないから。「社会人になった自分の価値観」でそういうことを言う、それって後出しじゃんけんじゃないの?

 

大学を卒業し、これから社会人になるという絶妙に何もない空白期間。今自分がいるのはこの立場。だからこそ何か言えることってあるのかなとか思いながらキーボードをたたくけど、コレ!というものが無い。さっきの徹夜とか、海外旅行みたいなやつが。そんなの寝たい人は寝たいし別に海外に興味ない人もいて、そういう人に対して押し付けるのはまさしくありがた迷惑で、ウザイセンパイそのものだよ。

 

それでも、学生でやってよかったこともあって、それはやってみてほしいかな。ウザイセンパイでごめんね。

 

「自分のことを考える」、これは大学生じゃなきゃ自分はできなかった。あの莫大な時間がなかったら絶対できなかった。

 

これ、別に将来どうしたい?とか、夢は?とか、キャリアプランは?とかそういう真っ黒なスーツを着ながら考えることじゃない。もっと簡単なことだよ。

 

例えば「なんで自分はこの音楽が好きなんだろう」とか「なんでこの選手がかっこよく思えるんだろう」とか「なんでここに来たかったんだろう」とか、そんなこと。

 

大学生の間、何度か一人で旅に出た。原付で行く当てもなく寝袋だけ乗せてみたり、イギリスとフランスに航空券とホテルだけ決めて飛んでみたり。憧れてた街や空気や物がそこにはあって、それを感じる自分がいた。それだけ、それ以外何もない、だけどこれといって誰かに連絡するようなものではない空白ならたくさんあった。そんな時、なんでこの風景を美しいと感じるのだろう、とか考えてた。これ、自分でもヘンだなとは思ってますよ。

 

もちろん旅なんていう特別なものじゃなくていい。学食のよく食べる定食とか、そんな些細すぎて3年後に忘れていたことすら忘れるようなことでも。

 

そしてそのたびボヤっとした答えが出る。何だろう、脳みそに結露ができるような感覚、とでも言おうか。これがホントに曖昧で、スッキリしないんだ、もどかしいけど意識しないと忘れちゃうようなことがどんどんどんどん積み重なる。それでまた違う体験をして、そのたびにまた生まれて、そんなことを4年間繰り返してた。

 

そしたらなんとなく、自分のことがわかるようになるから不思議なんだよね。たぶんこの結露が自分のことをぼぉっと透かしてくれるのだ。好きなものの共通点とか、美しいものの原体験とか、そういうものが媒介して点が面に、面が立体になる、そんな感覚があった。そうしたらなんとなく、自分自身を捕まえて、分かってあげられるような気がするのです。恥ずかしながら、自分はこれをついこの前の夏にやっと初めてできて、社会に出られる確約を頂いたのだけど。

 

自分はこれをするのに膨大な時間が必要だったし、たくさんのことを体験しなきゃダメだった。

 

だから、感覚でできちゃう人が羨ましいし、そういうのに引っ張られず自分の将来を決められる人はすごいと思う、敵わないよ、降参。高校を卒業して専門学校にいったり就職したりしていた友人に対して、すごい、俺には無理だ、と感じていた。方向性を決めちゃうような体験をして、自分を知っている人がかっこよかった。これから4年間もかけてそれをやろうとしている自分はなんなのだろう、合格の裏でそんなことを考えていた18の春。

 

大学を途中でやめて何かを始める人も、学生のうちに何かに抜擢されてデビューする人も、活躍すること自体もそうだけど、「これだ」という道を見つけること自体が本当にステキだ。

 

あと「結婚あるし就職は堅実に決めた」という友人もすごいなって。4年間かけて誰かの為の人生にしようという場所にはたどり着けなかった。社会のためとかそういうのはあっても、それはできない、ワタシの人生だものって。

 

そして思ったよね、自分がそうなら周りの人もそうなのかも、それぞれの人に価値観があって、それを理解しきれるわけがないのだ、と。仲のいいあいつも苦手な先輩も、それぞれの正義があって、それを「うん、わかる」って思うのが大切なのだ、と。

 

自己中はダメとか、人に気を遣えとか、空気を読めとか、もちろんそれは正しいのだけれど一人の時間くらい自分にかまってあげてほしい。人に迷惑をかけない自己中、大いに結構大歓迎。すごく贅沢な時間に思う。

 

だからウザイセンパイから一言いうと、自分のことを考え尽くしてみてほしい。意外と自分のことなんてなーんも知らないから。自分のことを知ったら少しは自分に優しくなれるし、誰かにも優しくなれる。そんな風に過ごす大学生活も悪くないよと、ウザイセンパイは思うのでした。

【Re:ステージ!3rdライブ感想】ステージに瞬いた3つのReflection

 

こんにちは。くろーぷです。

 

 

「Re:ステージ! PRISM☆LIVE!3rd STAGE~Reflection~」改めましてお疲れ様でした!本当に最高なライブでしたね。Re:ステージ!がここまで紡いできた物語が大きく花開き、過去最高のステージが生まれました。

 

 

今までのリステライブの中でも過去一番の規模と盛り上がりがそこにはありました。これ以上ない、素晴らしいステージだったと思います。

 

 

今回はライブの感想を、ライブのテーマであるReflectionに焦点を当てて書いていこうと思います。

 

 

 

僕は今回3つのReflectionがライブ全体として存在していて、それぞれが輝き合うことで最高の“PRISM“☆LIVE!になったのだと思っています。

 

その3つのReflectionとは

 

「アニメとのReflection」

「過去と未来へのReflection」

「キャラクターと声優とのReflection」

 

です。このそれぞれがReflectionし合って、美しい光に会場が包まれた、そう感じています。一つひとつなぜそう感じたのか、書いていきたいと思います。

 

 

1.「アニメとのReflection」

 

これは今回のアニメ『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』の後のライブという、今までのRe:ステージ!とは違うライブだからこそ、そして昼の部の新規曲・アニメ楽曲を中心に据えたライブだからこそ生まれたReflectionです。

 

まずは昼の部のセットリストです。

1 『Don't think, スマイル‼』 KiRaRe

 

2 『Yes, we are!!! 』オルタンシア

 

3 『境界線』 テトラルキア

 

4 『Lumiere』トロワアンジュ

 

5 『Like the sun, Like the Moon』 ステラマリス

 

6『ミライKeyノート』(真菜・紗由ver.)

 

7『ク・ルリラビー』 かえ&香澄(KiRaRe)

 

8 『キライキライCЯY』 瑞葉&みい(KiRaRe)

 

9 『惑わしラプソディ』 一条瑠夏

 

10 『あのね』 伊津村紫

 

11『 Glory Star』 岬珊瑚

 

12 『優しい風』 白鳥天葉

 

13 『Invisible Diamond』 城北玄刃

 

14 『One Step Ahead』 西館ハク

 

15 『ひと夜ひと夜にひとりごと』 市杵島瑞葉

 

16 『ガジェットはプリンセス』 柊かえ

 

17 『ステレオライフ』 KiRaRe

 

18 『せーので跳べって言ってんの!』 本城香澄

 

19 『InFiction』 ステラマリス

 

20 『Silent Dystopia』 トロワアンジュ

 

21 『Ambitious Pieces』 テトラルキア

 

22『ハッピータイフーン』 KiRaRe

 

23 『Dears…』トロワアンジュ

 

24 『カナリア』 テトラルキア

 

25 『Purple Rays』オルタンシア

 

26 『Brilliant Wings』 ステラマリス

 

27 『OvertuRe:』 KiRaRe

 

EN1 『367Days』 KiRaRe

 

EN2 『憧れFuture Sign』 KiRaRe

 

※ANiUTa NEWS(https://aniuta.co.jp/contents/279519)より、一部変更しています。

 

昼の部は事前に知らされていた通りアニメで扱われた楽曲が中心にセトリが組まれました。

 

 

1曲目はアニメオープニングテーマ『Don't think, スマイル‼』。今までのライブと異なり、踊るKiRaReの後ろにはOPの映像が流れました。僕は以前ほかのアイドルアニメコンテンツの現場に通っていました。なので「声優がアニメ映像の前でパフォーマンスする」ことは当たり前だと感じていた節がありました。

 

 

けれど、今回は違いました。4年間かけてアニメ化し、苦しい時も乗り越えたリステが、満を持して解き放つアニメ映像と声優のコラボレーション。過去のリステとも他のコンテンツとも違う、「今のRe:ステージ!だからこそできる」圧倒的な世界がそこにありました。Don't think, スマイル‼なステージの開幕を告げるファンファーレが高らかに鳴り響き、会場を一つにしました。

 

 

2曲目の『Yes, we are!!!』もアニメ映像付き。しかもダンスシーン。アニメのキャラクターの踊りと声優さんの踊りが同じ視界でシンクロする、これもまたリステにとっては初めてのことでした。伊津村紫ちゃんと伊津村陽花ちゃんが顔を寄せ合う前で、楽しそうに目を合わせ微笑み合う小澤亜李さんと花守ゆみりさん。アニメがなければ見ることがなかった光景です。4人の作り上げるかわいくて人を元気づける最高のステージでした。

 

 

5曲目の『Like the sun, Like the Moon』もプリズムステージのシーンの映像が流れました。ステラマリスという最強の存在が奏でる最高のパフォーマンス。「永遠に 踊り 歌え」のポーズは、太陽のような圧倒的な存在感を放つ一方で、月のような妖艶な光で会場を包み込みました。

 

 

それもアニメで式宮碧音と一条瑠夏と岬珊瑚という完全無欠な3人が歌上げるという文脈があったからこそ、橋未奈美さん、諏訪彩花さん、田中あいみさんがそれを現実の世界で再現・再構築して見せるという、アニメの後だから見ることのできる世界になりました。

 

 

27曲目の『OvertuRe:』では2つのKiRaReが作り上げた世界、想いが詰まったステーでした。この曲だけはアニメもフルサイズで映像が付いています。KiRaReが踊るシーン、オルタンシア、テトラルキア、トロワアンジュが見守り、彼女たちの心を動かすシーン、そして真菜が碧音に成長した姿を見せるシーン、それぞれがまるでステージの上で、全5ユニットが集まったライブで行われました。そしてリメンバーズはまさに12話の観客になったのです。紛れもないプリズムステージ。それが『OvertuRe:』がもたらした輝きでした。

 

 

そのほかの楽曲もアニメの中で使われたものが多く、その時々のシーンを思い出すことができました。そして、個人的には「アニメの後あの5つのユニットが合同ライブをするならこういうステージを作り上げるだろうな」という感覚を覚えました。新しく魅力的な曲で精一杯に今の彼女たちを表現する、そんな姿が見えました。

 

 

これが僕の感じた「アニメとのReflection」です。声優さんたちが放つ輝きがアニメで「Reflection」し、今までにない光で会場を満たしました。アニメの後のライブの意味、リステが今まで追ってきた一つの理想のステージがこのReflectionによって完成した、そう感じました。

 

 

2.「過去と未来へのReflection」

 

今回は今までのRe:ステージ!プロジェクトの大きな一つの区切りという意味合いも含まれていました。その意味で、これまでの歴史を「Reflection」した、そう感じれる瞬間も多くありました。

 

まずは夜公演のセットリストです。

 

1 『Stage of Star』 ステラマリス

 

2 『リメンバーズ!』 KiRaRe

 

3 『君とインフィニティ』 オルタンシア

 

4 『Heroic Spark』 テトラルキア

 

5 『STORIA』 トロワアンジュ

 

6 『WINTER JEWELS』 KiRaRe

 

7 『Desert Black Flower』 式宮碧音

 

8 『Skip』 緋村那岐咲

 

9 『Twin Moon』 帆風奏

 

10 『Flavor Youth』 坂東美久龍

 

11 『T.A.I.YOU』 南風野朱莉

 

12 『アイノウアイノウ』 伊津村陽花

 

13 『Bloomin,Bloomin』 式宮舞菜

 

14 『ロケット』 月坂紗由

 

15 『ミライKeyノート』(本城香澄ver.)

 

16 『For you!! Forみい!!』長谷川みい

 

17 『月影のトロイメライ』 トロワアンジュ

 

18 『Seventeen Feels』 テトラルキア

 

19 『Time and Space』 ステラマリス

 

20 『宣誓センセーション』 KiRaRe

 

21 『Sinfonia』トロワアンジュ

 

22 『Fearless Girl』 テトラルキア

 

23 『恋はフュージョン』 ステラマリス

 

24 『キラメキFuture』 KiRaRe

 

25 『Dear マイフレンド』 オルタンシア

 

EN1 『Don’t think, スマイル‼』 KiRaRe

 

EN2 『ハッピータイフーン』 KiRaRe

 

※ANiUTa NEWS(https://aniuta.co.jp/contents/279519)より、一部変更しています。

 

既存曲の中心という宣言通り、そしてそれぞれのユニットの人気曲、重要な役割を果たす曲が存分に使われたセトリになっていました。最強ステラマリスを象徴する『Stage of Star』に始まり、ファンの名前を冠した『リメンバーズ』など、Re:ステージ!がここまでの歩みの中で欠くことのできないマスターピースが散りばめられていました。

 

 

夜の部のクライマックスは最後の『キラメキFuture』『Dear マイフレンド』『Don’t think, スマイル‼ 』『ハッピータイフーン』の4曲です。この4曲がそれまでの23曲をまとめ、過去を尊びながら未来への道を示してくれた、そう感じています。

 

 

『キラメキFuture』はその名の通り輝かしい未来を疑うことなく歌い上げるナンバーです。今までの過去がある、だからこそ未来を信じて。そういう過去の肯定があって輝く曲だと感じています。キャラクターたちの抱える過去、Re:ステージ!が積み上げてきた歴史、それを持って走り出す。「夢中でいるのは今夢の中にいるから」。今までの夢を見るための期間があって初めて夢の中にいられる。そう感じさせる素敵な楽曲です。過去がこの曲に文脈を与える、未来という言葉で過去を「Reflection」している、そんな曲だと思います。

 

 

そして『Dear マイフレンド』。花守ゆみりさんがオルタンシアとして、伊津村陽花として歌う最後の曲がこれでした。花守ゆみりさんがRe:ステージ!の中で紡いできた物語、小澤亜李さんとの絆、紫と陽花の想い。それがこの曲で映し出されました。

 

 

 「ここからまた来る新しい毎日 ココロをつないで感じて

時々辛くていつでも大変 一緒に輝こうよDear マイフレンド

 

いつだって ほらココロはひとつ ずっと見ててね」

 

 

まだKiRaReに曲が4曲しかない、そして自分たちの曲は1つもないころからイベントで共演し、Re:ステージ!を盛り上げてくれた花守ゆみりさんと小澤亜李さん。その二人が最後にお互いを思って歌った「あなたへ」という気持ちを送りあう。Re:ステージ!が築き上げてきた歴史の一つが終わるその瞬間にささげられるメッセージとしてはあまりにも優しく、あまりにも儚く、あまりにも前向きでした。

 

今までと同じ関係ではいられない、けれどこれで終わりではなく新しい始まり。だからココロはひとつであり、ずっと見ていてほしい。そう歌い合うことができて本当に良かった、そう思います。花守ゆみりさんがRe:ステージ!に向き合ってきてくれた時間があったからこそ、今がある。それを改めて感じました。あの4分23秒は永遠にリメンバーズのココロの中に残り続けるはずです。

 

 

一度ここで終演となり、その後のアンコールで『Don’t think, スマイル‼ 』と18人全員での『ハッピータイフーン』が歌われました。

 

 

『Don’t think, スマイル‼ 』『ハッピータイフーン』はRe:ステージ!の楽曲の中でも明るく、そして背中を押してくれるような応援ソングです。「落ち込んだり迷っても最後には笑顔で」「あなたの笑顔も 泣き顔も みんなみんな全部全部オーライ!乗せて進むんだ」。花守ゆみりさんの卒業を笑顔で送り出す、そんなメッセージが詰まった選曲でした。

 

 

ライブは歌った瞬間にもう過去になってしまいます。現在がすでに過去になっていく、だからこそ過去に思い出したときにも未来へ向かっていける曲で送り出したのだと思います。拙い言葉ではありますが、花守ゆみりさん、今までありがとうございました。益々のご活躍を期待しています。

 

 

過去と未来がお互いに反射し合い、それぞれに意味を持たせた夜公演。これこそがRe:ステージ!らしい「過去と未来へのReflection」であったと思います。

 

 

3.「キャラクターと声優とのReflection」

 

最後に、今回の両部を通じて根底にあり続けた「Reflection」について。

立花芽恵夢さんのアニメ直前コメントですでに語られている部分があります。

https://www.youtube.com/watch?v=geaz0qVEgKg

 

 

「キャラクターもやっと動けたねって思って、すごく私もうれしい気持ちなので、みんなの成長を見届けていただきたいなって思ってます。」

 

「ぜひ私たちの成長も、キャラクターの成長も、皆さんで見届けてくださったらなって思います。」

 

 

アニメ化する前のイベントは、キャラクターが動くという感覚は少なく、あくまで声優ユニットとしてのKiRaRe、オルタンシア、ステラマリス、テトラルキア、トロワアンジュという側面が強くありました。動きのある、生きた存在として立ち現れるのは彼女たち声優でした。しかし、今回のアニメを経てそれが大きく変化します。

 

 

「アニメとのReflection」でも書かせていただきましたが、3rdの今までと一番大きく違うところはアニメ映像の前で踊るという、声優とキャラクターの今まで以上のシンクロでした。その中でも特に印象に残っているのが『キラメキFuture』です。『キラメキFuture』は初めてキャラクターのKiRaReが歌って踊り、アイドルとして立ち現れた瞬間でした。ライブでイントロが始まり6人が舞台上で踊りだした瞬間、そこにははっきりと式宮舞菜、月坂紗由、市杵島瑞葉、柊かえ、本城香澄、長谷川実がいるように感じました。今までのRe:ステージ!の楽曲とは全く異なった文脈を持つ曲が、新たな瞬間を作り上げました。映像になっていない2番以降も、キャラクターが動いているかのような、その一方で確かにリアルのKiRaReがそこにいる、そんないい意味で曖昧な境界がステージの上に存在していました。

 

 

それは本当に今までと違い、「キャラクターと声優とのReflection」が明確に存在していたからです。これまでRe:ステージ!はライブは声優、MVも声優であり、「キャラに先行して声優がおり、キャラクターの要素がどうしても弱い」ものになっていました。しかし、今回は初めてキャラクターが先歌い、踊った曲を声優さんが披露しました。キャラクターの像を追いかける舞台上のメンバー。それは紛れもなく今までにない世界であり、時間でした。キャラクターがアニメの中で作り上げた人格と、これまで4年間の積み重ねの中で作り上げたKiRaRe、オルタンシア、ステラマリス、テトラルキア、トロワアンジュというユニット。それぞれがお互いをReflectionしていました。

 

 

「アニメとのReflection」「過去と未来へのReflection」ではアニメや過去、未来を通して反射させているように感じましたが、「キャラクターと声優とのReflection」は映し鏡のように反射し合って、無限の深みを生んでいるように感じました。キャラクターがアニメで持たせた文脈をステージ上で再解釈し、新しい意味を声優さんが持たせ、それがさらにキャラクターの深みに繋がって…という瞬間が3rdライブのそこかしこでありました。鏡に映る像はどこまで行っても像なのですが、あの日、あの瞬間はまるで実体かのように思いました。それだけ、アニメの後は見る側も演じる側も限りなくキャラクターと声優が重なり合い、Reflectionし合い、今までにない存在として立ち現れるのを感じていていたのだと思います。

 

 

僕はキャラクターコンテンツの最大の魅力はキャラクターと声優の境界が消えて、二人の存在が一つになる瞬間だと思います。今回のライブはそんな瞬間がいくつもありました。その中でも特に印象に残っているシーンを紹介させていただきます。

 

 

まずは『ミライKeyノート』を歌っていた時の岩橋由香さんです。『ミライKeyノート』は劇中ではここぱんなの原曲と舞菜と紗由が歌うバージョンしかありませんでした。しかし、今回岩橋由佳さんは本城香澄として歌っていました。力強く、そして「ここぱんなとしての本城香澄」と決別を決意するかのような本城香澄の歌声は、岩橋由佳という声優が本城香澄になりきる程度ではとどまらず、本城香澄とキャラクターと重なり合うことで生み出したものでした。

 

 

次に牧野天音さんがセンターとして歌い上げた『OvertuRe:』です。アニメでは決勝の舞台でKiRaReの夢の始まりを、舞菜自身の成長を、そして碧音からの旅立ちを歌った曲でした。牧野天音さんは本当に4月のツアーから本当にパフォーマンスがずっと向上し続けていると感じます。まるで舞菜のように。舞菜が4月の時点では頭角を現していなかったものの、最後にはセンターとして誰にも負けない輝きを放ちました。まるでその舞菜に引っ張られるような、いえむしろ舞菜を超えていくパフォーマンスを見せてくれました。舞菜との関係の中でこの半年間、KiRaReだけでなくRe:ステージ!プロジェクトのセンターとしての牧野天音さんが、式宮舞菜ちゃんが生まれました。その瞬間に立ち会うことができた、まさしく12話のライブシーンに現実になった瞬間でした。

 

 

そして最後に、立花芽恵夢さん。『ガジェットはプリンセス』では圧倒的なダンスを見せてくれました。まるで、ダンスが苦手な柊かえではないかと思わせるくらいに。しかし、曲の終盤の「ガジェットはプリンセス プリンセス」という歌詞を歌うときには息も上がり、それでもなお必死に声を振り絞る姿が印象に残りました。これもまた、今までにないキャラクターとのシンクロでした。柊かえというキャラクターは体力やダンスでは他のキャラクターに比べ、ハンディキャップがあります。しかし、アイドルへの憧れは人一倍強いものがあります。そんな柊かえがそのままアイドルを続け、ソロを歌うまでに成長した時、きっとそのハンデは克服されつつあるのだろうと思います。その姿が、息を弾ませ歌い踊る立花芽恵夢さんから見えたのです。

 

 

まさしく、立花芽恵夢さんの「ぜひ私たちの成長も、キャラクターの成長も、皆さんで見届けてくださったらなって思います」というコメントそのものでした。また、3年前はキラリン☆感謝祭の500人ほどの規模を前に感極まって歌声が出なくなってしまった立花芽恵夢さんが、様々な経験をし、2500人の前で臆さず、むしろ堂々とリメンバーズを魅了して見せました。それも柊かえが劇で声が出なくなってしまった経験を乗り越え、決勝の舞台でパフォーマンスを披露したことと重なるかのようでした。お互いがお互いを尊重し、助け合うことで作り上げることができたステージだった、そう感じます。ただのキャラクターと声優という関係性を超え、その先にあるものを見せてくれた、そんな景色を立花芽恵夢さんは見せてくれました。

 

 

「一つじゃ頼りない 小さな明かりでも 

手を取り合えばほら 星座に変わってくように

一人じゃ見えない そんな景色が広がっていく」

 

 

僕は今までこの歌詞をKiRaReの6人同士で手を取り合うのだと感じていました。しかし、3rdを超えた今はキャラクターと手を取り合い、6人から12人になった、それぞれが手をつないだ、だから星座として輝きを放つことができる、そんな風に解釈をしています。

 

 

こんな景色を見せてくれた、それこそが本当の意味での「キャラクターと声優とのReflection」だったと感じています。

 

 

このようにして作り上げられた光が反射することでプリズムが生まれ、舞台を、Re:ステージ!を輝きに包み込みました。今までは18人の声優さんが作り上げる世界だったRe:ステージ!のライブも、キャラクターを含めた36人が作り上げるステージになりました。そこにアニメを、声優とキャラクターの文脈を知ったリメンバーズが来てその空間を体験したこと。キャラクター、声優、リメンバーズ。このRe:ステージ!に欠かせない3つがそれぞれから受けた光がプリズムなり、美しい36色の光線が舞台を満たしました。

 

 

Re:ステージ!は4年積み上げ続け、今この境地にたどりつきました。でもこれは「序章」なのです。これだけ素晴らしい景色を見せてくれてもなお「序章」です。Re:ステージ!が紡いできたたくさんの感動がReflectionし、新しいスタートラインを見せてくれた、これ以上ないライブでした。「この18人が誰一人欠けることがなかったからここまで来れた」という牧野天音さんの言葉。本当にその通りだと感じます。

 

 

Re:ステージ!の大きな冒険はここで一つの区切りを迎えました。けれど次は「Chain of Dream」です。今まで叶えて来た夢が次の夢へと連鎖する。KiRaReが初めてポニーキャニオン本社の一階でライブしてから3年半、こんな景色は想像できませんでした。だからこそ、ここから始まる新しい景色は、リメンバーズの想像を超えた、まったく新しい36人によって刻まれるのでしょう。過去と未来の夢を繋ぐ切れない鎖。それを見届けたい、まだまだここからが本当のRe:ステージ!です。

 

 

今回の3rdライブは様々な思いを反射した、まばゆいステージになりました。

 

 

新しいスタートラインに立った36人、その姿を見届け、新たな歴史を刻み始める、そんなライブに立ち会えたこと。きっといつまでもその輝きはリメンバーズの胸の中に焼き付いて離れないと思います。そんなステージを見せてくれて、本当に、本当にありがとうございました。

 

 

「今日までありがとう そしてこれからもよろしくね

今ここが 君とあの日見たスタートライン」

 

【感想】『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』が素晴らしいアニメだった理由【考察】

こんにちは。くろーぷです。

 

 

ついに2019年9月29日をもってRe:ステージ!ドリームデイズ♪の放送が終わってしまいましたね…。

個人的には追いかけて4年目になるコンテンツだったので、最終回を迎えた時は本当に感慨深かったですね。一時期は本当にこの先があるのか…と思うようなこともたくさんあって…と、本題はそちらではなかったですね。

 

 

今回は「なぜ『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』(以下リステDD)があそこまで素晴らしい作品になりえたのか?」という問いをストーリーの構成という側面から考えてみます。本当に感動的で最高のクオリティだったのですが、僕は序盤から11話まである違和感を覚えていました。そしてそれが12話で解消されました。その鮮やかさ、清々しさには鳥肌が立ったほどでした。

 

 

ではその違和感とは何だったのか。結論から書くと「ファンが12話を除き描かれなかったこと」です。これだけだと意味が分からないと思うので、以下で詳しく書いていきます。

 

 

 

 

1.アイドルとはファンがいて初めて「アイドル」になる

 

 

アイドルをアイドルたらしめるものは何か。歌うこと、踊ること…様々あると思いますが、僕は「ファンが存在していること」だと思います。人数は関係ありません。1人でも1万人でも、ファンがいれば等しく「アイドル」であると考えます。

 

アイドルがなぜ歌うのか、踊るのか、笑うのか、泣くのか。それはすべてファンが存在するからです。ファンが存在しなければあくまでアイドル的なもの。ファンがパフォーマンスを受け取ってくれるからアイドルでいられるのです。

 

 

これは現実のアイドルにだけ当てはまるものではありません。アイドルアニメもその御多分に漏れず必ずと言っていいほどファンが描かれています。以前のエントリー(Re:ステージ!ドリームデイズ♪は王道部活ものアニメで行くべきだなぁと思う理由:くろーぷの不定期ブログ)の中で「アイドルアニメはプロを扱う作品とアマ(部活)を扱う作品がある」と書きましたが、そのプロ・アマ問わず必ずファンは描かれてきました。

 

THE IDOLM@STER』シリーズ、『Wake Up, Girls!』『AKB0048』『ゾンビランドサガ』『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』など、登場の仕方に差はあれど、そのグループを愛するファンが描かれます。このような「プロ」の作品であってもファンは不可欠ですが、「アマ」の作品であってもファン必ず登場してくるのです。代表例が『ラブライブ!』シリーズです。廃校から母校を救うため、人気というファンでしか測れない物差しを登場させています。どんなアイドルアニメであっても、ファンという存在はアイドル達と不可分なものとして現れるのです。

 

 

アイドルアニメにファンは現実のファンとはまた違った役割を持っていると僕は考えています。それはアニメの中という非現実なアイドルに没入するためのペルソナとして視聴者とアイドルをつなぐ存在だからです。もし現実にアニメの中のアイドルがいたらファンはどんな反応をするのか、どう作品の中でアイドル達は認められているのか、それを提示する役割を果たしていると考えます。

 

つまり、アイドルアニメのファンとは「疑似的に描かれた視聴者」であり、「作品に主体性を持って参加するための装置」だと言えるでしょう。ともすれば寒いアイドルという存在に血を通わせ、熱を持たせるのがファンなのです。描かなければただの痛い女の子たちになりかねません。ファンの描写はアイドルアニメの絶対外せないファクターだと考えます。

 

 

しかし、リステDDにはそのファンがほぼ描かれませんでした。プリズムステージの地方予選ではKiRaReを目的に来た観客は先生を除きほぼ登場しませんし、9話・11話の校内ライブでも見に来ているのはサバゲ部や生徒会という以前から香澄や実と交流があった面々がほとんど。KiRaReというグループのパフォーマンスで獲得したファンとはまた違っています。

 

 

リステDDはアイドルアニメをアイドルアニメたらしめるファンというファクターを描かないという極めて珍しい、というよりはあり得ない構成をしていました。ただそれでも最高の「アイドルアニメ」になったのです

 

 

それはテーマの徹底した追及があったから、僕はそう考えています。

 

 

 

 

2.ファンを描かなかったリステDDの「部活アニメ」という戦略

 

 

話はいったんRe:ステージ!プロジェクトそのものまで遡ります。

Re:ステージ!プロジェクトは2015年にスタートした「アイドルという一度諦めた夢をもう一度目指す少女たちの物語」です。このテーマは4年前から一貫して変わることなく続いています。僕はこの「一度諦めた」「アイドルをという」「夢を目指す」ことが他のアイドル作品と大きく違っていると考えています。

 

 

KiRaReはこのテーマに即して考えるとアイドルではありません。あくまで「アイドルを目指す少女たち」でしかないのです。ほかのアイドルアニメは紆余曲折ありつつも早い段階でファンを獲得し「アイドルになって」話が展開してくことがほとんどです。しかし、リステDDはその意味で「アイドル」になれていません。あくまでアイドルを目指して部活をしている少女たちでしかないのです。つまりリステDDは「アイドルを目指す少女たちの部活アニメ」の体裁をとっていました。あくまで自分たちの目標を目指す。友情・努力・勝利のアニメです。甲子園を目指す、スポーツで全国制覇を目指す…最終目標をそこに変えても通じるものであったとさえ思います。しかしこの体裁をとることでリステDDでしかなしえなかったものがありました。

 

 

それが「テーマの徹底」であり「個を掘り下げ、内輪を理解させること」でした。

 

 

 

 

3.テーマの徹底によって生まれた誰しもに当てはまる普遍性

 

 

リステDDは徹底して「一度諦めた夢をもう一度追いかけること」を描き続けていました。それはなぜ少女たちが夢を諦めたのか、そしてもう一度目指そうと思ったのか、その掘り下げが非常に重要だったからです。その点で視聴者に共感してもうことが生命線だったのです。そしてこの掘り下げが完璧でした。個々のストーリーに他のメンバーの思いが乗り、複雑で美しい、そして共感できるバックボーンが生まれました。この共感こそがリステDDの強みであると僕は考えています。

 

 

先にも述べましたがリステDDはファンが描かれません。つまり視聴者はファンという媒介なしにKiRaReと直接向き合うことになります。この仕組みが彼女たちを輝かせました。ひたむきに夢を目指して走り続け、悔しさも挫折も幸福も、何もかもを味わったKiRaReという少女たち。その感情をダイレクトに視聴者は味わうことができました。

 

「一度諦めた夢をもう一度追いかける」少女たちは懸命に今を生きる存在でありつづける。彼女たちは自らと対話し、そして立ち向かう。そんな姿は僕たちにこう語りかけているかのようでした。

 

 

「あなたはどう?夢を追いかけてる?諦めてない?」

 

 

夢を諦めず走り続ける、この普遍的な姿勢を描き切ることで僕たち視聴者を巻き込み、考えさせ、物語に参加させました。この泥臭いまでの必死さ。それが視聴者の人生に問いかけているかのようでした。

 

このファンが介在しないことによるリアル感、息遣いが伝わってくるかのような距離感がリステDDの最大の強みなのです。

 

 

そうして迎えた12話で、KiRaReのいままでのすべてが報われることになります。

 

 

 

 

4.KiRaReが「アイドルになった」最終話

 

 

11話までの内容で視聴者はKiRaReを応援するファンとなり、フィナーレの12話を迎えます。決勝の舞台で帰っていく観客に憤りを覚え、そして心から「KiRaRe頑張れ!」と願ったのは僕だけではなかったと思います。

 

 

そして迎えたライブシーン。今までのすべてを出し切りKiRaReは観客を虜にします。

観客、ライバル問わず見たすべての人がKiRaReを応援し始める。

 

 

この瞬間、KiRaReにファンが生まれ「アイドルになった」のです。

 

 

ライブの最後、舞菜は言います。「これが私たちの夢の始まり」であると。まさしく「アイドルという一度諦めた夢をもう一度目指す少女たち」の「夢がかなった」瞬間です。

 

これは少女たちにファンが生まれアイドルになった、夢がかなった瞬間に立ち会った人として僕たち視聴者が存在した瞬間でもありました。

 

 

「アイドルは物語である」。アイドルとは何かという問いの一つの答えです。この物語には一言「成長物語」であると僕は付け加えたいと思います。成長とは成功だけではありません。挫折も失敗も成長につながる大切な宝ものです。この「成長物語」をリステDDは美しく描き切りました。それも夢を追いかけるという誰もが目指し、そして多くの人があきらめてきたテーマに沿って。

 

 

この純粋すぎるくらい真っ直ぐな思いが、僕たちの心を打ち、感動させました。

これが『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』が素晴らしいアニメになった最大の要因であると僕は考えています。誰もがあきらめてきたことを臆せず突き進む。その姿が僕たちに勇気を与えたのだと思います。

 

 

『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』はただのアイドルアニメではありませんでした。誰もに愛され、誰もに勇気を与えるアニメなのです。このもらった勇気を僕たち一人一人が心に持ち、そして生きていくこと。挫折のたびに立ち上がること…。

 

 

『Re:ステージ!ドリームデイズ♪』は一つの区切りを迎えました。しかしRe:ステージ!は終わりません。Re:ステージ!にもらった感動を一人一人が持ち続け、その人生が続く限り続いていくのです。

 

 

「失敗したってそう終わりじゃないよ 未来のピースを手に入れたんだよ1つ」

 

「今ここが キミとあの日夢見たStart Line

 

これからもKiRaReの夢は続きます。その姿をまた見れる日まで、これからは僕たちリメンバーズが夢を追いかける番です。KiRaReのくれた勇気を胸に秘めて。

 

 

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