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『薄暮』の感想と「震災をアニメで描く」ということについて

こんにちは。くろーぷです。

2019年7月6日、やっと山本寛監督の『薄暮」を見てきました。1年以上前から応援していて、原作も読んでいたのですが、公開から2週間後に見るという…。まぁ僕に山本監督の作品を教えてくれた友人と見たかったので予定をつけて今日になったのですが。

そんなことは置いておいて、今回はこの『薄暮』の感想、そして山本監督が作り上げてきた「東北三部作」の感想を踏まえつつ、個人的に感じた震災とアニメ、物語について書いていきたいと思います。

内容が内容ですので、『薄暮』のネタバレやパンフレットの内容にも触れます。苦手な方はご注意をお願いいたします。

薄暮』の世界

薄暮』は山本監督が学生の頃から構想を温めていた作品であり、そして今のところ山本監督が「自身最後の作品」と断言している作品でもあります(今のところとつけたのは僕がまだ続編を作ってくれると信じているからです。「この世界には、まだ愛がある」のですから)。

そういう背景もあり、発表段階から「決して手を抜くことはあり得ないだろう」と踏んでいました。まさしくその通り、音楽も映像も演技も演出も、一切の妥協の感じられない作品に仕上がっていました。

山本監督自身もパンフレットで「とにかく美しさを描いた」と語っている通り、本当に映像が美しいです。さらに山本監督の十八番である聖地という部分に関しても、田舎道がメインでありながら本当に高いクオリティでした。むしろ豊かな自然や様々に萌える緑、刻々と表情を変える空の色など、そこでしか見れない風景を本当に美しく描いていました。そこについてはここでいくら書いても伝わらないので、ぜひ劇場でご覧になってください。

ストーリーについてはいたってシンプルなボーイミーツガール、ガールミーツボーイな内容です。

音楽部でバイオリンを担当する主人公の小山佐智は、違う高校の美術部に所属する雉子波祐介に出会います。2人はいわきの美しい夕焼けを一緒に見る中で恋に発展していき…という内容です。

今までの山本監督作品にあった毒気やニヒリズムはなく、一貫して等身大の高校生の恋愛を、行き違いやその周囲の人間を、そして2人のあるがままを描いた作品です。

今までの山本監督を知っている人なら拍子抜けするくらいの、それくらいすっきりとした物語です。

ただ、私は今回そのシンプルさ、事件のなさこそが重要なのだと感じました。事件ではなく、状況を、風景を描く。これがこの作品の鍵であり、これこそが震災をアニメで描くことなのではないかと。

これ以降はそのことについて考察していきます。

「震災をアニメで描く」ということ

今回の作品は山本監督が東日本大震災の復興を目的に作ってきた東北三部作の最後の三作目になります。

blossom』『Wake Up, Girls!』に続く最終作がこの『薄暮』です。『WUG!』に関してはありとあらゆるところで語られていますので、ここでは細かいことは割愛します。『blossom』についてはYouTubeで5分で見れるので、少し覗いてみてください(https://youtu.be/Ity1F7zvLUE)。

この東北三部作、ここに一貫して描かれているのは「事件」や「出来事」ではなく、登場人物の「生活」や「生き方」であり「息遣い」なのです。

blossom』は天使の少女達が花を咲かせるような描写こそありますが、物語な軸は瓦礫の街を菜の花でいっぱいにするおじさんです。

『WUG!』はアイドルアニメであり、他の2作に比べ事件や出来事の比率が大きいです。こらは興行の面やハイパーリンクのリアリティを持たせるための演出でもあるのですが、根底に描かれるのは震災を乗り越えた少女達の葛藤であり、団結であり、成長なのです。つまり描きたいことははじめてのシングルがおじゃんになりかけたり、挫折を乗り越えてアイドルの祭典に勝つことではなく、少女達の生き様であり人生という物語なのです。

薄暮』はそれを突き詰めたような作品です。震災の描写は多少ありますが、根本は2人の高校生の何気ない人生の一コマ。その生活や息遣いなのです。

つまりこの東北三部作では、震災を扱っていながら揺れの描写と津波の描写も原発事故の描写もなく、一貫して「それらが起こったあとのそこに生きる人々の生活、人生」なのです。

これこそが「震災をアニメで描くこと」なのだと、山本監督は示しているのではないのでしょうか。

震災を伝える手段は様々です。新聞やテレビのニュース、WEBメディア…。しかしここで考えたいのはそれらのほとんどが「出来事」を描いたものでしかない、ということです。

なぜそうなるのか。それは震災を伝えるメディアが報道になってしまうからです。何がいつ、どこで起こったか。その繰り返しなのです。

しかし、私たちはその沢山の報道を少しでも具体的に思い出すことができるでしょうか。

事件や出来事は人々の耳目を集め、拡散させることに長けています。しかし、本当に人々の記憶に残り続けるのでしょうか。

もちろん、本当にショッキングな内容でずっと頭から離れない新聞記事やニュースがあったかもしれません。しかしそれはあくまで断片的、一次的な情報にすぎない、そんなことはないでしょうか。

つまり事件や出来事を報じることは人々にインパクトを与えはするが、記憶には残らない、ということです。

一方、東北三部作をはじめとする震災やその他の出来事を物語で伝えるアニメはどうでしょうか。

おそらく作品名を見ただけでも思い当たるシーンがあるかと思います。私自身も『WUG!』のかやたんがまゆしぃに打ち明けるシーン、『薄暮』で初めて2人が出会うシーンなど、様々浮かんできます。この記憶に残る、作品として人々の心に残り続ける事こそがアニメの果たせる震災の伝えること、なのだと感じます。

東北三部作はどれも随所に震災の爪痕が感じられ、そこを切り離して考えることはできない構成になっています。その作品を楽しみ、見終わったあと、その人のどこかに震災が刻まれるのです。この記憶に残ること、これが本当に復興に必要なこと、被災者ではない人間にできることなのではないでしょうか。

震災の復興は待っていても成し遂げられません。現在も復興が進まない地域があり、仮設住宅で暮らす人がいます。その人達を被災者ではない人間が忘れ去ってしまうこと、それが一番恐ろしいことなのではないでしょうか。

なにも常に意識しろとか、ボランティアに参加しろという話ではありません。無関心こそが一番恐ろしいのだということです。

東北三部作はどれも人々を強く揺さぶるものです。山本監督はこの作品を通し、被害を忘れないことを私たちに訴えているのではないか、そのように感じます。

それを震災後の世界を生きる姿として描くことで、楽しみ、作品として捉える中でやっているように感じます。これがもし出来事を中心に描く「報道的なアニメ」であればこのような効果は期待できなかったように感じます。

このような東北三部作の特性が、私たち一人ひとりに震災を風化させないクサビとして機能しているのではないでしょうか。

もちろんこれはアニメだからこそできたことです。報道機関ではストーリー調にしていつまでも追うことは予算やニュースバリューの側面からかなり困難です。ドラマや映画も近い部分がありますが、アニメという実写よりも作為的に描くことができ、様々な演出も可能な手法だからこそ成立しているように感じます。

震災をアニメで描くこと、それは人々の心に震災を残り続けるものとし、風化させないものにすること、そう解釈できると私は思います。その中でYouTubeクラウドファンディング、声優とのハイパーリンク聖地巡礼という様々な方法を用いることで残り続ける仕組みを作り上げた山本監督の手腕は本当に素晴らしいものだと思います。

昨今ではSNSやニュースアプリが当たり前のように生活にあり、情報を受け取っては次の見る、非常に速い流れの中に私たちはいます。その中で1つのニュースや情報に割く時間は少なく、まして考えを深めることは本当にわずかです。3日前にいいねしたツイートを正確に思い出せるでしょうか。読んだ記事の関連記事を覚えているでしょうか。記憶に残らない消費の仕方に疑問すら持たないことが増えている、そんな気がしてなりません。

だからこそ、アニメのような作るのにも消化するのにも時間のかかるメディアが求められるのではないでしょうか。作る側が命を削って作り上げ、それにかじりついて議論をし、記憶に残り続ける。これは1つの新しい報道やテーマの提示であってもいいと私は思います。言うなれば遅延した報道が求められる。加速し続ける世界だからこそ、逆説的に遅いことの価値が高まっていると思えるのです。

たかがアニメかもしれません。しかしそこにはさまざまな思いや背景がある。それを震災後というテーマで示した東北三部作が「震災をアニメで描くこと」であり、ゆっくりとした消化の中で一人ひとりにきちんと残り続ける、これこそが大切なのではないか、これが私が東北三部作を通して感じたことです。

以上が私がこの『薄暮』を見て、そして感じた1つの答えです。この他にも様々な解釈があると思います。その場合は是非ご意見をお聞かせください。様々知ることが1つ、私達の回答を増やすことに繋がると思います。

そして最後に。山本寛監督へ。

本当に素晴らしい作品をありがとうございました。東北三部作をまとめあげ、1つの金字塔を打ち立てたとファンの1人は勝手に思っています。しかし、本当に全てを描ききったとは思えません。まだまだ描きたいことはあると思いますし、私達もそれを期待しています。1人のファンの戯言ではありますが、どうか引退ではなく新たな世界を見せて欲しい、そう思っています。

以上が今回のブログになります。ぜひ、これを読んだ方とご意見等の交換し、議論をできればと思います。よろしくお願いします。

それではこのあたりで。