アンサーソングは届かない

マンチェスターシティとRe:ステージ!を愛するブログ 考察とかを書いてます

最近の審判事情についていろいろ思うことなど

 こんにちは、くろーぷです。

 別にこのブログの存在を忘れていたわけではなく、更新したいネタなんかは割とTwitterで済んだりしていたので触らなっかただけですね()

 そんなことはさておき、今回僕が書こうと思っているのは審判のことについてです。

 審判はサッカーには不可欠な存在であり、かつ時に試合の結果を左右する存在でもあります。最近ではサッカーそのもののスピードが向上したこと、すぐさま表示されるリプレイ動画、SNSを含めたメディアへのアクセスが容易になったことなどを背景に、審判は以前より難しい立場に立たされているように感じます(そしてその仕事ぶりに対して、あまりに評価されてないな、などと個人的には思ったりするわけですが)。

 そんな中、僕がこのブログで書こうと思っていることは、

 1.ジャッジは常に一定であるべきではなく、ブレた方がいい

 2.ファンやメディアはジャッジに対してどう対応すべきか

 3.最新技術の導入の可能性

以上3つについてです。

 これから僕が書く意見はあくまで個人的な価値観に依拠するものであり、反対意見などは大歓迎です。匿名希望の方はこのブログのコメント欄やask、普通にコンタクトを足りたい方はTwitterのDMやリプライ、さらに腹を割って話したいというもの好きな方(失礼)はSkypeのアカウントもお教えいたします。ぜひ遠慮のない議論が交わせたらと思っています。

 前置きはこれくらいにして、さっそく本題に移っていきましょう。

1.ジャッジは常に一定であるべきではなく、ブレた方がいい

 おそらくこの話題がパッと見で一番意味不明なのではないでしょうか。

 「審判のジャッジは一定の基準で行われるべきであり、ブレるなんてあり得ない。やっぱりくろーぷはイッちゃってるな。」などと思われた方もいらっしゃるでしょう(まぁイッちゃってるということに対しては異議を唱えることはできませんが…)。

 ただ、僕の考えでは、上の意見はマイナスなブレ方のみにフォーカスしており、本当の意味での平等なジャッシを語る上では少し状況が異なるように感じます。プラスな意味でのジャッジのブレについまずは書いていこうと思います。

 ここで僕が想定しているジャッジのブレとは、試合の中の時間帯やプレーの文脈、コンペティションの違い、その試合の持つ意味などによって少しづつジャッジの基準を変えるべきであるということです。

 

 まず、試合の中の時間帯やプレーの文脈という観点から見ていきましょう。これは非常に簡単な考え方で、試合開始直後と終了間際ではジャッジの基準を変えるべき、試合の流れの中でとられるべき判定と、そうではない判定の2つがあるべきだということです。 

 例えば、開始1分で悪質なファール(余りに意図的なエルボーや唾吐きではなく、自然なプレーの中で生まれてしまうレッドと判定されても致し方ないような種類のもの)であった場合、審判は競技規則をもとに厳格にジャッジすべきでしょうか。もちろんジャッジすべきだという意見があるのは理解できます。しかし、そのジャッジは選手のため、ゲームのためになるのでしょうか。退場者を出されたチームは守備的な戦術にシフトせざるを得なくなり、スペクタクルは失われるでしょう。選手達自身にも見に来たサポーター、テレビの前の視聴者にとってもマイナスにしかなりません。僕はイエローで済ませ、選手に時間帯などのことを説明し筋の通ったジャッジであると選手に示すことができればそれでよいと考えます。また、0-0の試合の終盤にカウンターを意図てなファールでつぶすのと、3-0で勝っている試合で同じプレーをするのとでは、同じファールでもどちらの方が悪質でしょうか。試合の文脈でファールやその他プレーの文脈も変化します。そのあたりも織り込んでジャッジされるべきだと考えます。主役は試合であり、選手です。ゲームのエンターテイメント性を殺してまで正当化されるジャッジがあるとは僕には思えません。

 また、試合を通して同じ基準でジャッシをすることは審判自身が仕事をしやすくしているだけであり、それは本当に選手のためになっているのでしょうか。選手ファーストなら、そのあたりも本当は変化してしかるべきだと考えます。

 次にコンペティションの違いによる基準の変化について考えてみます。

 CLなどの他リーグのチームと試合をするようなコンペティションや、W杯などの様々な環境でプレーをしている選手がいるような場合、当然最大公約数的なジャッジが求められます。

 各審判はそれぞれのリーグの空気やクセなどが出て当然ですが、それを最小限にする必要が出てきます。そのために、リーグごとのローカルな基準(プレミアなら許される激しいタックルなど)ではなく、世界共通の基準を順守することで公平さを保つ必要があります。このような場合、基準になるのは競技規則(ルールブック)ですプレミアが好きな人なら良く感じる「CLの笛は厳しすぎる」は選手のボディコンタクトの激しさもあるのでしょうが、一方でこのような要因があるのではないかと僕は考えています。サッカーのグローバル化が進む中で、こういった事案も発生しているということを考えながら試合を見ることも必要なのかもしれないですね。

 また、試合の持つ意味の中でジャッジの基準も変化してきます。

 わかりやすいところで言えば、ダービーやカップ戦の決勝など、熱くなるであろう試合においては、普段よりも基準を緩くすることでゲームを盛り上げつつ、毅然とした態度でカードなどを出し、エキサイトしすぎないように調整する必要があります。

 また、シーズン序盤なら選手の体もまだ重く、意図しない遅れたプレーなども普段の試合よりも多く見られます。故意でないなら注意などで済ませ、厳格すぎる基準でジャッジする必要もないでしょう。

 

2.ファンやメディアはジャッジに対してどう対応すべきか

 最近では試合中にリプレーを映像で流すことが容易になり、様々な角度からプレーを見直すことができるようになっており、サッカーファンとしてはうれしい限りです。

 ただ、この技術により、審判のジャッジをより詳しく見る、ということも増えてきました。現状の審判は3人、ないしコンペティションによってはゴール横の審判を含めた5人で直接のジャッジを下しています。22ニ人のプレーヤーが100×60のピッチを目まぐるしく動くとなれば当然見えない角度やタイミングが生まれてしまいます。正直今のままでは限界があり、そのためにディジタル技術の導入が叫ばれていますが、そのことはこの後に述べます。

 ここで話題にしたいのは、見れない場面もあること、上で述べたような基準の変化等があるということを折り込んでジャッジを見なければならないということで、それを不当にたたくのはよくないということです。その場でジャッジに文句を言いたくなるのは当然だと思いますし、そのことに対してはどうとも思いません。しかし、審判もわざと見辛いポジショニングをしているわけではありません。落ち着いた後も不服を述べるなら、なぜミスジャッジが起こってしまったのか冷静に考えた上で批判をすべきであり、その作業しないというのはあまりに無責任であると考えます。特に今はSNSで個人の意見が本人に届くような仕組みもあります。また、マスメディアの一部は過激な報道によりこき下ろすこともあります。ただ、このような過剰ともいえるような行為にどのようなメリットがあるのでしょうか。審判自身はハーフタイムや試合後にジャッジをきちんと反省する時間をとっています。また、レクチャーや講習会などで質を上げる機会もあります。無批判もよくないですが、最近はジャッジを分析することのできる機会が多くなったことにより、行き過ぎた批判が多いように感じます。クラッテンバーグがあまりの批判の激しさからプレミアからアブダビへジャッジの場を移すことになったのは記憶に新しいことです。過剰な批判は審判の質を低下させ、新しい審判を生み出す機会も減少させます。サポーター側の言い分ももちろん理解できることですが、そればかりでは結局はサッカーの地盤沈下を起こしかねません。僕たち自身も見方を変えていく必要性があるといえるのではないでしょうか。

 ただ正当な批判は必要であるのは言うまでもありません。先日のシティvsモナコのマテウラオス主審のジャッジはお世辞にも言い内容であるとは思えませんでした。彼は90分基準をブラさず役割を全うしたという声も聴かれましたが、そもそも基準が間違っていた印象を僕自身は受けました(というか上で述べたように、基準がブレないことがいいわけでもないと思っていますし…)。なぜだめなのかを述べることで改善していくこともあるでしょう。選手のときと同じくらいの真剣さで審判の評価も行っていきたいところです。

 

3.最新技術の導入の可能性

 

 最後にこれからの審判事情において最も議論されるであろうファクターに触れておきます。

 上でも少し書きましたが、最近ではサッカーにもディジタルテクノロジーを持ち込もうという動きがみられるようになっています。ゴールラインテクノロジー、映像判定などがその例としてあります。

 これらの技術は間違いなくジャッジの曖昧さをなくし、サッカーをより良いものにしてくれるでしょう。しかし、僕はいくつかの課題があると考えています。

 まず一つ目は、どのレベルまで導入するかという問題です。例えば、ゴールラインテクノロジーはボールとゴールにセンサーを取り付け、審判の時計ときちんと連動するようにしておく必要があります。映像判定なら、複数の角度からの撮影と、それをすぐに見ることができる仕組みが必要です。つまり導入、維持に金が必要(具体的な金額がわからなくてすみません…)であり、すべての会場に設置するのは現実的ではないでしょう。1部リーグに所属しているチームは導入を義務付けなどの対処もあるでしょうが、カップ戦によっては仕組みのない場合も想定され、会場による不公平が発生する場合も考えられます。公平さを生み出すためのもので不公平が生じる可能性があるというのはどういうことでしょうか。もちろん上で述べてきたようなそれも折り込んで考慮すべきであるという考え方もあるでしょう。しかし、現実にこのような問題が起きた時のリスクや対処をあらかじめ考えておく必要があるでしょう。

 また、ディジタル技術の導入により、審判の質が低下することも考えられます。これらの技術はあくまで審判の補助であり、メインでは(今のところ)ありません。サッカーはスポーツの特性上、スピード感や流れが重視されます。「機械に頼ってジャッジの手を抜いてもいいだろう」という審判が増えれば、せっかくの最新技術も試合を止める回数を増やすことになり、サポーターをイライラさせるものになっていくかもしれません。より良いジャッジのために審判の技術向上はこれからも求められていくでしょう。

 お疲れ様でした。以上が僕が今回書きたかった審判についてのあれこれながいことです。いろいろ書いてきましたが、僕が最終的に言いたいことは「審判のジャッジは試合をより良いものにするためのものであり、いたずらにスペクタクルを奪うことは容認されるべきではなく、あくまで主役は試合と選手であり、そこに常に軸足を置いてジャッジすべきである」ということです。おそらく様々思うところがあったことと思います。そういった方は初めにも書きましたが書きましたが,是非意見をお聞かせください。さらにいいジャッジ、ひいてはサッカーを見るために議論を交わせればと思います。